展示構成

本展は、約500年に亘る、テューダー朝から現在のウィンザー朝までの5つの王朝に描かれた英国王室の肖像画を紹介します。
王室の肖像画には、伝統と革新の両面が現れています。これらを見通してみると、君主制の変化によって肖像画にも変化が現れたこと、そしてなにより、君主たちが自らのイメージを公に向けて発信するために肖像画を使っていたことが分かります。
ロンドン・ナショナル・ポートレートギャラリーは1856年に設立された、イギリスの歴史と文化に貢献した人々の肖像画を集めた美術館です。そのコレクションから、特に王室の肖像画を時代ごとに辿りながら、英国王室の歴史、そして描かれた人物の物語に迫ります。

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テューダー朝

1485年から1603年の間に、イングランドは5人のテューダー朝の君主によって統治された。戦いの中で王冠を勝ち取ったヘンリー7世、6人の妻を娶ったヘンリー8世、「ヴァージン・クイーン」エリザベス1世、とテューダー家の君主たちは英国史で知られる人物ばかりである。
テューダー朝の時代は、イングランドがヨーロッパ諸国の中で力を持ち始めた変革期だった。テューダー朝の誕生は、ちょうどイングランドでの肖像画制作の始まった時期と一致している。肖像画は、王族たちに絵を通じて自らの権力を強固にする新しい機会を与えた。君主たちの肖像は、描かれている人物の華麗さや権威が精神面への深い洞察とともに伝わり、その威光を目の当たりにした時の印象を、何世紀にも亘って鑑賞者に伝えている。
《ヘンリー8世》
King Henry VIII by Unidentified artist, after Hans Holbein the Younger, Probably 17th century(1536)
©National Portrait Gallery, London
《アン・ブーリン》
Anne Boleyn by Unidentified artist, Late 16th century(c.1533-36)
©National Portrait Gallery, London
《レディ・ジェーン・グレイ》
Lady Jane Grey by Unidentified artist (c.1590-1600)
©National Portrait Gallery, London
《メアリー1世》
Queen Mary I after Anthonis Mor (Antonio Moro)
(1555) ©National Portrait Gallery, London
《エリザベス1世(アルマダの肖像画)》
Queen Elizabeth I ('The Armada Portrait') by Unidentified artist (c.1588)
©National Portrait Gallery, London

ステュアート朝

テューダー朝は1603年にエリザベス1世の死で終焉を迎えた。王位はスコットランドでジェームズ6世として統治していた縁戚のジェームズ・ステュアートに引き継がれ、彼はスコットランドの称号を保持したままイングランドでジェームズ1世となった。ジェームズとその子孫、ステュアート朝は、1世紀以上に亘りイングランドを統治した。この時期は激動の時代で、国王が処刑され、1649年から英国史上一度だけの共和制が敷かれた。1660年に君主制は復活したが、1688年から翌年にかけての「名誉革命」は、王権に新たな制限を課し、国王による統治の性質自体を大きく変化させた。
ステュアート朝での芸術支援はチャールズ1世と多くの廷臣によって主導され、ヴァン・ダイクやルーベンスらの大陸の先駆的な画家たちがイギリスへ導き入れられた。これらの画家が制作した作品と、この時期に蒐集されたオールド・マスターの絵画コレクションは、17世紀全般にわたり宮廷内外に強い影響を及ぼし続けた。
《チャールズ1世》
King Charles I by Gerrit van Honthorst (1628)
©National Portrait Gallery, London
《チャールズ1世の処刑》
The Execution of King Charles I by Unidentified artist (c.1649)
©National Portrait Gallery, London
《チャールズ1世の5人の子どもたち》
The Execution of King Charles I by Unidentified artist (c.1649)
©National Portrait Gallery, London
《チャールズ2世》
King Charles II attributed to Thomas Hawker (c.1680)
©National Portrait Gallery, London
《メアリー2世》
Queen Mary II attributed to Jan van der Vaart (c.1692–94)
©National Portrait Gallery, London
《アン女王》
Queen Anne by Sir Godfrey Kneller (c.1690)
©National Portrait Gallery, London

ハノーヴァー朝

1714年、アン女王が世継ぎのないまま亡くなり、英国は危機に瀕していた。英国の立憲君主制を守り、プロテスタントの君主に王位継承させるために、議会はジェームズ1世の曾孫で、ドイツ・ハノーファー家のゲオルク(英名はジョージ)に王になるように求め、ハノーヴァー朝が始まった。
1688年に国外追放されたカトリックのステュアート家に味方する多くの人々はその復興を訴え、1715年と1745年のジャコバイト蜂起を支持した。
ジョージ王の時代は産業革命がおこり、大英帝国が大幅に拡張し、消費主義が現れ始めたことで知られる。芸術や建築が優雅さを特徴とした時代である一方、君主や主要な政治家を揶揄する痛烈な風刺画が流行した時代でもあった。1768年には、ロイヤル・アカデミーがジョシュア・レノルズ卿を初代会長として設立された。18世紀後半までには、外国人芸術家たちが絵画制作を主に請け負っていた時代は過去のものとなり、アラン・ラムゼイやトマス・ゲインズバラ、ジョージ・ロムニー、ジョージ・スタッブスなどの英国人芸術家が台頭した。
《ジョージ4世》
King George IV by Sir Thomas Lawrence (c.1814)
©National Portrait Gallery, London
《消化におびえる酒色にふけた人、ジョージ4世》
‘A Voluptuary Under the Horrors of Digestion’, King George IV by James Gillray, published by Hannah Humphrey (1792)
©National Portrait Gallery, London
ジョージ3世は芸術と科学の支援者で、膨大な量の書籍を蒐集し、農業への関心を抱いたが、晩年は健康状態が悪化し、慢性の躁病と失明や難聴に苦しめられた。
国王が三度目の精神発作を発症したので、1811年に王子は摂政皇太子となった。1820年にジョージ3世が死去し、自らが国王ジョージ4世となるまで彼は父親の代理として国を治めた。
彼は芸術に対する優れた支援活動で人々に記憶されている。《ジョージ4世》は、鋳造されることのなかったメダルのための造作である。
この時すでに太っていたジョージは、「クジラ王子」と嘲笑されるほどだったため、画家のローレンスは、この肖像画はまさに本人そっくりだ、と擁護しなければならなかった。
風刺版画は中心街の店の窓に掛けられたり、コーヒー・ハウスや宿に貼られたりして、18世紀後半の英国で多くの人々に親しまれていた。
ジェームズ・ギルレイは版画作品《消化におびえる酒色にふけた人、ジョージ4世》で、虚栄心や放蕩ぶりなどで悪評高かった巨漢の皇太子を、容赦ないタッチで描いている。
18世紀初期、ジョージの若い頃には肥満はそれほど注目を集めるものではなかっただろうが、摂政時代になると、当時流行の男性の体型と言えば、もっとスリムなものになっていた。
王子の淡い黄色のベストとズボンはほとんどはち切れんばかりで、裾に切り込みが入れられた青い上着は前で合わせられないだろう。
彼の頭上にあるのは、若き日の暴飲暴食を改め、厳格な禁欲生活に切り替えて91歳まで生きた、ルイージ・コルナロの肖像画である。王子はその皮肉を気にも留めていないようだ。

ヴィクトリア女王の時代

ジョージ3世の孫であるヴィクトリア女王は、叔父ウィリアム4世の崩御後、1837年にわずか18歳で即位した。63年の在位は、当時これまでのどの王たちよりも長かったが、ヴィクトリアは統治者というよりは君臨者であった。この頃君主は強大な政治的権力を振るうことはなく、名目上の国の代表者としての役割を担っていた。
ヴィクトリアの治世中に起こった科学、テクノロジー、哲学などの発展は、現在の私たちの生活を形作っている。例えば、麻酔薬や細菌論の発達、チャールズ・ダーウィンの進化論、電波の発見などである。
ヴィクトリア女王の統治下、大英帝国はカナダやオーストラリアのみならず、インド、マレー半島や、アフリカの植民地支配に成功し、世界の大国へのし上がった。
この時代の国王の肖像画において画家たちは、公的権力を持つ女王としての姿と、伝統的な女性らしい貞淑なイメージという、相反する現実を統合させようと試みていた。またこの頃、印刷技術の発展によって、大衆の王家の肖像への需要が大いに高まった。1860年以降、写真が市販されるようになったことは肖像画の手法に革命を起こし、ヴィクトリア女王と夫アルバート公は、写真を自分たちの肖像に使うことを進んで受け入れた。こうして王室の写真画像は頻繁に複製され、王室に対する世間の認識を変化させていった。
《ヴィクトリア女王》
Queen Victoria by Bertha Müller, after Heinrich von Angeli, 1900(1899)
©National Portrait Gallery, London

ウィンザー朝

ウィンザー朝は、第一次世界大戦中にジョージ5世が王室の公式名をザクセン=コーブルク=ゴータ(1901年~)から改名し誕生した。王室は、第一次・第二次世界大戦、テクノロジーや社会的道徳観の急激な変化を切り抜け、前例にない大きな変動の時期に君臨し続けてきた。1936年にはエドワード8世が離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンと不倫交際の末に王位を放棄し、王朝に強い衝撃を与えたが、次王ジョージ6世が即位してまもなく第二次世界大戦に突入、王と女王はロンドン大空襲中も疎開せずロンドン市内に留まり、多くの民衆から賞賛を受けた。
1952年にはエリザベス2世がわずか25歳で即位した。女王の肖像は、映画スターのような魅力的な姿や、時代を超越して務めを果たす姿、理想的な母としての姿など、現代の君主としての多様なイメージが表れている。女王の子孫たちもまた、王室のセレブとして世界中のメディアから向けられるスポットライトのまばゆい光の中で育てられてきた。 現在、エリザベス2世の在位は英国君主史上最長を誇る。今日、国のトップとしての女王の職務は、イギリスの代表として認められた新世代の子孫たちや、彼らが世界中で支援するチャリティーによって支えられている。
《エリザベス2世》
Queen Elizabeth II by Dorothy Wilding, hand-coloured by Beatrice Johnson (1952)
©William Hustler and Georgina Hustler / National Portrait Gallery, London
《ウィンザー城のクリスマス、ツリーを飾る》
‘Christmas at Windsor Castle, decorating the tree’ by Joan Williams (1969) ©Joan Williams
《キャサリン妃、ジョージ王子、ウィリアム王子》
Catherine, Duchess of Cambridge, Prince George Alexander Louis of Cambridge and Prince William, Duke of Cambridge Photo by Jason Bell, Camera Press, London (2013)
《ダイアナ妃》
Diana, Princess of Wales by Bryan Organ (1981)
©National Portrait Gallery, London